着物を毎日着てみると [2007・12・20


 
 私は京都の北野天満宮の近くに住んでいるので、お正月には家族で初詣をすることにしている。今年の元旦も一家で出かけた時、私は本殿の前で次々に押し寄せる人並みを見ながら、着物を着ている人がどれくらいいるか数えてみた。女性はそれでも百人に一人はいただろうか、男の着物姿は(作務衣も含めて)千人に一人がせいぜいであった。「一年の計は元旦にあり」、しかも京都で、この数字である。今や普段着はおろか晴れ着としての地位も、着物は失いつつあるようだ。

 なるほど、街で着物姿を見かけるのは、これからの季節、卒業式での女学生の袴姿か、夏の花火大会の若者の浴衣、はたまた職業的に着物を着ている人達(僧侶や神主、呉服業界や花柳界etc)、そして日舞やお茶お花などの芸事にいそしんでいる趣味人くらいなものである。ましてやそれらと関わりのない日常着として(つまり生活の場でまた仕事着として)着物を着ている人間は、数寄者(すきしゃ)を通り越して奇人変人の部類に入るであろう。齢五十にして私もようやくその仲間入りである。何、今までも十分変わり者だった?ムムム。

 振り返れば私は別に着物と縁のある家庭に育った訳ではない。小さい頃(私は昭和三十年生まれである)、母が普段は着物に割烹着姿だったのをおぼろげに覚えているし、夏祭りのあどけない浴衣姿の写真も残っているが、それだけである。長じて、一般的に人々が感じているように、着物は自分には縁がないもの、高いもの(=お金のある人が着る衣服)という意識を抱いていた。そんな私が初めて着物に袖を通したのは、八年前に整体の稽古を始めてからである(整体協会の創始者・野口晴哉の次男、野口裕之先生が主宰する身体教育研究所で私は学んでいる)。山口では週二回ほど近くの道場で稽古着(着物+袴)を着用していたが、恐らく殆どの趣味人がそうであるように、一歩稽古場を離れれば私は洋服を着ていたし、なかんずく洋服を売ることを生業にしていたのだ!

 それが・・・四年前の夏、山口から京都に移って初めて体験する“都の暑熱”には閉口したが(私の家には今もってクーラーがない)、一番参ったのはTシャツの首周りの何とも言えない締め付けられる息苦しさだった。そこから逃れるようにして私は作務衣を着始め――秋も冬も年がら年中着た切り雀の“作務衣おじさん”になり、さらに去年の夏からはパンツをふんどしに替え、そして今年、とうとう作務衣を卒業して着物とあいなったのである。

 この間の歩みを振り返ると、私にも確かに着物という未知の世界へのあこがれ、好奇心はあったが、私の体が、身体感覚が原動力となってここまで来たように思える。というのも、頭で着物は着られないからである。食と比較すればよく分かる。「〜が体に良いから〜を食べる・飲む、あるいは悪いから食さない」という人は多いが(玄米菜食のマクロビオティックが典型であるように)、「体に良いから」という理由で着物を着る人は、まずいまい。私の率直な感想を言えば、味覚(舌)は頭でごまかせるが、皮膚感覚にはそれができないのだ。心地よい、という感覚が生まれない限り――私たちから喪われた“着物を着て「良し美(うるわ)し」とする身体感覚”が甦らない限り――日常的に着物を着こなすのはままならないだろう。

 一日着物を着て動いて見れば、痛いほど感じられる。私の小学校五年になる娘は学校で茶道部に入っているが、先日、北野天満宮であったお茶会に初めて本格的に着物を着て半日過ごし、くたくたになって帰ってきた。ことほどかように、現代の日本人にとって、着物ほど窮屈で不自由・不合理な(と感じられる)衣服はないであろう。まず、足がさばけない。それに、この大きな袖は何のためにあるのか?ったく、帯はゆるんでくるし、今の季節、襟元や袖口からは冷たい空気が入ってきて、等々。

 ほんの百数十年前まで誰もが着ていたのに、今では誰も着なくなってしまった民族衣装。日本国を代表する首相がサミットの場で着ることもないし、国会で議員達が羽織袴で論戦する光景も見られない。街で着物姿は奇異に見られるだけである。でも私には、そのまなざしの中に、屈折した心情を(こう言ってよければ、ある哀しみ、諦念のようなものを)感じてしまうのだ。それは私たちの近代社会が、明治維新と1945年の敗戦という二つの〈伝統との断層〉の上に築かれた(国造りをしなければならなかった)トラウマ、あるいは“原罪”とでも言えようか・・・。

 着物の衰退は、単なる生活様式の変化や外国文化の影響に帰すべきものではない。衣食住の全般にわたって、日本人の身体感覚が変わってしまったための必然的な結果なのだ。文化というものは、観念から生まれるのではなく、身体感覚が母胎だと私は考えている。例えば日本語なら日本語の、単語や文法は誰か一人の偉大な人間が名づけ体系化したものではあるまい。「あ」や「う」なり、他者や世界に対した時に共通に感覚されて声として発せられたものが言葉となり、やがて言語に結晶したのであろう。

 私は着物のポイントは、垂直感覚とは融合感覚という二つの身体感覚にあるのではないかと思っている。着物はそもそも直線裁ちで作られているが、これに衽(おくみ)が加わり、さらに帯で水平に腰の位置で締めることによって、体の中に天―人―地という垂直感覚が生まれてくる。また大きく開いた襟元と袖口はわたくしという自我の象徴である顔と手を消し、いわば主語のない融通無碍(ゆうづうむげ)とも呼ぶべき存在へと誘(いざな)う。このような近代的な自我とは対極にある“わたしのありよう”を、日本文化は求めてきたし美しいとしてきたのではないか、というのが整体の稽古を通じて得た私の仮説である。

 近年、レトロ感覚からか、着物や和なるものに関心を向ける人が(特に若い人達の中で)相対的に多くなっているようだ。グローバリゼーションに晒されて、自分の中に“根っことなるもの”を(潜在意識で)求めているのかもしれない。私がそうだった。自由や平等といった近代的な諸価値を否定する訳では全くないが、それだけでは何とも心もとない。私が今住んでいるのは築九十年ほどの町家である(京都では別に特別な家ではない)。自分のおじいちゃんおばあちゃんくらいの家に住むことは、人を謙虚にする。と同時にこころ安らぐ。自分が生まれる前からここにあり、死んだ後もそこにあり続ける存在。そして私自身も、大いなる流れの中で、父母から受け継いだものを子に手渡して小さな営みを紡いでゆく・・・。

 着物を着ると、いろんなことを考える。そして、感じる。私にとって、着物はステキな探求領域である。



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